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special meeting
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B.R.SHOP Special Meeting Vol.002

<ゲスト>有限会社エス・エス・アンド・ダブリュー 代表取締役 齊藤正二郎さん

B.R.大和(以下--):僕はアルコールは苦手なんで、どちらかというと夜もエスプレッソを飲んでいる口なんです。こちらのエスプレッソは初めてですが、本当に美味しいですね。

齊藤正二郎さん(以下、齊藤):ありがとうございます。マキアートにしても、濃厚なコーヒーとどっしりとしたミルクが混ざっているのが特徴なんです。召し上がっていただいているのはフレーバーが入っているんですが、そのフレーバーもボクが輸入していたもので。エスプレッソにミルクをたらすっていうマキアートも、入れたときにスプーンがなくても、ミルク、牛乳がこれだけの小さい器のなかにちゃんと混ざっていて、なおかつマークがついているっていうのは、なかなか作りにくくて、高度な技術なんですよ。

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--シアトルのエスプレッソというものを、日本で紹介するに至る経緯をうかがいたんですが。

齊藤:そもそもシアトルには子供の頃から縁がありまして。産まれて歩けるようになった1才からスキー板を履かされたり、むちゃくちゃなことをやってきたんですが、親が豪快だったので、おまえスキーができるんだったら、向こうで知っているヤツがいるからということで、小学校6年ぐらいからシアトルにひとりで行かされて。小中学時代には、サラエボで銀メダルを取ったフィルメーアという双子の兄弟がいて、一緒にスキーをやったりですね。ところが、日本では高校もだぶっていますし、大学は6年行っているんですよ。そういう人生を歩いていて、親にも見放されていたので、どっかで自分が勉強をできる環境をつくろうと思って再びアメリカに飛び出したんです。

--アメリカが齊藤さんの原点なんですね。

齊藤:そうですね、父親が大正12年生まれですから、その戦後の後継者たちはみんなアメリカを目指していました。アメリカは憧れの場所であったし、トヨタにしろ、クルマ社会にしろ、1934年にフォードが量産体制を作ったのを見て、これは自動車をつくんなきゃとか、全部アメリカに向いていたと思うんです。息子にもアメリカを見てこいということになる。いまの日本には、うちの父親にいわせると義理人情がないという。西洋っていうのはキリスト教とか宗教がしっかりしているから、家庭に行っても子供がお客さんに来た人に対してサーブしたり、そういうところから学んで来いということが、アメリカに行くきっかけとなったんです。ボクがアメリカが好きだったかというとそうではなくて、ただ、スキーにしろオートバイにしろ、無茶なことをするのは好きだったんで、そういう点ではアメリカに憧れがあったんで。

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--私も父親が建築家で、経営者だったものですから、建築って面ではヨーロッパに対しての意識というのが親はあったんですね。その影響で、親が洋服が好きで、イタリアが好きでという流れはあったと思います。齊藤さんはシアトルに建築会社もお持ちだとか。

齊藤:その会社を利用して、日本で何ができるかとと考えたのが始まりですね。当時は、(日本で)輸入住宅が流行っていたんですよ。為替レートが80円ぐらいの円高だったんで。家も構造物としてツーバイフォーが流行っていましたから。建材を積んで、日本で建てて、という風に向こうの会社とリンクさせようとしたんですが、家っていうのは人が住めば何十年間とかメンテナンスをさせなければならないですし、日本の耐震性などのテストを何度かやって、建設省とかの承認を得ないとお金がかかるし、複雑な問題は出てくるし、いろんなしがらみを考えると、これは無理だと。そこでたまたま日本に入っていないものがエスプレッソだったんです。店舗の物とか色を選ぶのも好きですから、建築会社のほうは、それで展開できたらなと思いまして。

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