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special meeting
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B.R.SHOP Special Meeting Vol.004

<ゲスト>クリエイティヴ・ディレクター、音楽プロデューサー 谷田部タケオさん

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--2002年サッカーワールドカップの際のプロジェクトのお話をしていただいてもよろしいでしょうか。

谷田部:そうですね。サッカーワールドカップの時って、各地からヨーロピアンが大勢来るじゃないですか。そんなことって、日本の歴史上はじめての出来事ですよね。で、サッカーを観に来るわけですから、本当のところ日本なんてどうでもいいというヨーロピアンも大勢日本に来るわけです。そういう人に日本のカルチャーをアピールできる時なんですよね。そこで、日本のカルチャーをお弁当箱みたいに箱に詰め込みたいと、NIKEに提案してみたんです。それまで日本の文化として、音楽とファッションとテクノロジーがうまくトライアングル状になっていないな、と僕は見ていたので、「その3つをくくったらカルチャーがわかりやすいから、それを箱にして商品化するべきだ」という方向で。そしてできあがったのが、オリジナルスニーカーとレコード盤とソフトウエアのセットです。

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--それを成功させたことで、何か変わりましたか。

谷田部:走り始めましたね、すごく。いろいろなオファーが各会社から来て。でも何度も繰り返しますが、僕はそれを狙っていたわけではなくて。いろいろなことを感じて楽しみたいだけなんですね。楽しんでいる環境だと、いい仕事も生まれやすいし。

--具体的には、どんなお仕事のオファーがあったんですか。

谷田部:多かったのは、ブランディング系の仕事です。ただ、もちろん僕はブランディングに特化した人間ではないので、またいつもの分析グセで「ブランドって何だよ、勝ち組といわれる会社はブランディングが伴っているとか言うけど、それって何だよ」と考え始めたわけです。そうしたら、何でブランドというものが誕生したんだ、というところまでさかのぼりまして。そもそもブランドなんて本来いらないものだったんですよね。でも、靴やバッグなど、いいものを作る人がいて、でもいいものというのは1日、2日でできるものではないので、それを作る職人さんに半年なり1年なりのギャラを払わなくてはならない。そういうお金を払える人というのが、昔は王様やクイーンだったわけです。そして職人さんとのコミュニケーションのうえで、そのやりとりが成立していた。

--今はこういう時代だから、それをビジネスとして形にしなくてはならない、ということですよね。

谷田部:そうなんです。その頃というのは、人と人とのコミュニケーションでいいものが生まれていって、おそらくそれが後々ブランドになっていったと思うんですよね。重要なのは、なぜそれがブランドとなり得たかということ。それはその商品に対して、使い手というかもらい手が、愛着心をすごく持ったということだと思うんです。そしてそんなふうに、商品に対して愛を維持することというのが、ブランディングなんだ、と見えてきたんです。いただいた仕事に葛藤することも結構ありましたが、それがわかってからは、すごく気持ちがラクになりましたよ。本当は好きじゃないけどなんとなく好きになってきたかも、みたいなことではなくて、本当に好きな気持ちを軸とした社会構造というのが、ブランディングから生まれる可能性のひとつとしてあると思いました。それは、音楽も似ているような気がするんですよね。

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