港町の再生なくして復興はない。
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40オトコがより輝くための情報を
さらに磨きをかけて提供したい
>前田陽一郎
贈られた人の満足度100%の「フラワージュエリー」
>EIKA
「THE SARTORIALIST」のスコット・シューマンが来日
>スコット・シューマン
豪華なハコ"では満たされない気持ちがある。結局やるのは人なんです。
>梶川 貴子
カッコいい服を着て、気取って歩ける。そんな街がもっと増えればいい。
>團 紀彦
経営のプロに訊く!コミュニケーションの上手な取り方。
>鶴岡秀子
よきスタイリスト、よきライフスタイルのコーディネーターでありたいという思いが一致。
>守屋Kスケ × 滝沢カレン
長年に渡り、トップアスリートを見続けてきたお二人に“一流とは何か”を伺いました。
>松下賢次 × 山本喜則
よきスタイリスト、よきライフスタイルのコーディネーターでありたいという思いが一致。
>植村浩
ファッションもライフスタイルも、こだわり抜くから楽しい。
>丸山茂樹 × 山本喜則・2
男である以上、多少ギラギラしている部分が必要だ!!
>丸山茂樹 × 山本喜則
“モテる”人は“ポジショニ
ング”が明確なんです。
>前田 陽一郎
ファッションも自分の個性。
センスを磨く姿勢が大切。
>武田修宏 × 小川カズ
建築もファッションも
ーー 建築と洋服、全く違う次元が異なるものでも実はすべて繋がっているんですね。僕もオタク的に服が好きというわけではなく、コミュニケーションとしての服が好きなんです。どんなに洋服に興味がない人も、一日のスケジュールや会う人によって服を変えますよね。そこから既に自己表現やコミュニケーションが始まっている。
團 まったくもって私も同意見ですね。空間のなかでコミュニケーションが始まります。そこでは建築もファッションもいわばコミュニケーションツールなんですね。たとえばファッションで考えると、自分が着たい服、顔の見える相手を幸せにする服、そしてもっと大勢を意識した服がある。大和さんはこの3つをどう考えます?例えば大和さんが提案したものが全く自分が予測しなかった着こなしをされることもありますよね?
ーー 僕の場合、基本的に人間がいちばん好きなので、すべてはそこに繋がっています。対面して、話すのが大前提。原始的なコミュニケーションツールがいちばん好きですね。自分が全く予期しない着こなしをされても、それはそれで自由でいいなと思うんです。選んでもらえることで何らかのメッセージは伝わっているんじゃないかな。抵抗はないですね。
團 僕もそうですね。建築は容器、お皿だと常々考えています。そのお皿に見合った料理を作りたくなります。一方で、盛りつけが最初から決められているような限定力を持ったお皿もあるし。自由なものを作りたくなる、そういう型破りなことを想像させる建築は楽しいですね。
ーー その時々の感情によって、景色や空間が全く違った色や形に見えることもある。そういう意味では使い方はあまり限定するべきではないと思います。
團 デザイナーでもこと細かに指定したがる方もいますが、なかなかその通りにいかないこともある。一方では「何にでも使えるお皿をつくりました」という事に意識しすぎると、実は使い勝手が悪い。それは何でもアリという考えを押しつけ過ぎているから。ある目的の為に作ったお皿を全然違う目的で転用する方が楽しくて、はるかに自由だったりもする。
ーー そうなんです。僕らの商売もすべてのタイプのお客さんに満足を与えようとすると、誰ひとりとして満足しないという結果になってしまうんです。意識としてターゲットを設定していますが、受け取りかたは自由であるべき。そういう意味では食の文化とも繋がっています。音楽も人それぞれ気分によって受け取る印象も違う。けれども音が作者の手を離れて独立して色々な人に愛されていく過程はとても素敵です。建築もひとつの独立した街の歴史として人々の記憶に刻み込まれていく。魅力的な仕事ですね。
團 20世紀の都市計画はオブジェ主義だったんです。"動物園型"と悪口を言う人もいたけれども、ブランド建築家を集めてひとつの場所を作るやり方が世界共通認識でした。いま、それとは全く正反対のプロジェクトを手掛けています。日本橋室町の三井本館、三越本店がある街区の反対側でマスター・アーキテクトをやっています。昔からある新古典主義の街並みに合わせようという再生プロジェクトなんですが、マイ・ランゲージでは歴史的な街の再生はできません。僕ら学生の頃に見てきた安藤さん世代に浸透している"ブランドを確立する"という絶対的な使命感というのはないのかもしれない。
ーー とても穏やかな團さんでもトガっていた時はあったのですか。
團 それはもう30〜40代は僕も愛知万博論争などで政府と喧嘩したりして、随分トガっていましたね。50歳を超えると山を越えて向こう側に出てしまった気分になります。残された時間は、徹底的にいい建物を造ることを頑張ってやるしかないな、と。そういった意味でのゼロ地点です。「貴方のスタイルが好きだからお願いします」といわれる偉大な建築家もいます。自分の特長を判りやすく世の中に提示できる半面、固定化された商品イメージとブランド性がかえって自由な発想を妨げる事もあります。僕はそういうことでもないので、もう一回ゼロから始める、そんな年まわりなんですね。
ーー 都市再生を手がけられているということですが、最近街を歩いていてどんな事を感じますか?
團 身に付けたファッションは個人の所有物だけれども、同時に街の文化や財産でもあるという意識が今の日本では希薄ですね。一方、江戸文化を見るともっとずっと派手。表現にある種のルールはありますが、もっと大胆で自由だったと思う。
ーー 戦後、アメリカの影響で変化してきたのでしょうか。洋服を相手のために着るという意識は必要だと思います。
團 身に付けたファッションは個人の所有物だけれども、同時に街の文化や財産でもあるという意識が今の日本では希薄ですね。一方、江戸文化を見るともっとずっと派手。表現にある種のルールはありますが、もっと大胆で自由だったと思う。
ーー 戦後、アメリカの影響で変化してきたのでしょうか。洋服を相手のために着るという意識は必要だと思います。
鶴岡 その通りなんです。
ーー お客様の立場になれば、楽しくなければ話をしてくれないし、そのお店にいること自体苦痛になってしまいます。どれだけ感情移入できるかということだとも思いますね。
團 感情移入こそ本番の共有ですよ!
ーー なるほど。團さんのファッションへのこだわりを教えてください。
團 僕はあまりお洒落ではない人間ですが、色に関しては拘りますね。紫色でも独特な色合いのシャツを探してみたり。ある一つの色を徹底的に探すのだけれども、なかなか無い。大和さんのスーツも今に少し紫が入っていて微妙な色合いですね。
ーー この色味も既製品ではまずないですね。
團 どうしてそういうこだわりがなくなってきたんですかね。
ーー お洒落でネクタイをする人が5年前くらいから確実に減ってきています。タイを締める人はほとんどがビジネスマンというのが現状です。昔はサラリーマンでなくともダンディズムを気どる人がいて、変わったデザインや色味のタイやスーツの需要があったんですが。プライベートでタイを締める人が減るとともにスーツはほぼ紺やグレーが占めるようになってきた。気軽さ、カジュアルが最優先される様になってきたんですね。
團 いろんな意味で相手に対して印象を与えたり、避けるメンタリティが出てきてしまっていることでしょうか。
ーー 威圧感への嫌悪感、ともすると威圧感のイメージそのものが新しく構築されてきているのかもしれない。例えばそっち系の人が相手に威圧感を与えるそのスタイルも、時代とともに変わっているかもしれないですよね。
團 なるほど、面白い。よく釣り雑誌のなかに、この人あやしいな〜、という人を見かけます。特に大物釣りに多い(笑)ファッションや髪型、顔つきで判断している訳ですが、スレスレのところは面白いよね。すこ〜し怪しげなほうが面白い。